タンザニア支援活動2018 ④
手術1日目です。
AM7:00に宿を出てムヒンビリ大学病院に向かいました。
前年の活動以来、手術器械、手術用顕微鏡、モニターなどのメンテナンスがしっかりされていたか不明であったので、まず初めにそのチェックから開始しました。
小嶋義久先生、竹内護さん(アシコ・ジャパン、NPO法人タンザニア眼科支援チーム理事)、竹内建司さん(テイクオフメディカル、NPO法人タンザニア眼科支援チーム理事)は、顕微鏡、モニター、記録ビデオ、滅菌器械などのセットアップを行いました。
高橋まゆみさん(知多小嶋記念病院看護師)は、手術に必要な清潔器械の準備、吉川静香さん(知多小嶋記念病院視能訓練士)は、現地の研修医が行う眼軸長測定の指導・監督、横江美貴さん(在タンザニア日本大使館職員、看護師)、貞廣光佐子さん(日本アルコン社)は、患者の氏名、術眼、手術に関する患者情報の記録・確認、山﨑俊先生は全体の流れの総監督、浅見 慎(三重大学1年)は、眼内レンズの度数計算、と、それぞれ手分けをしながら準備を進めました。
顕微鏡とモニターの調整、接続の調整を行う竹内建司さん
モニター、ビデオの調整を行う小嶋義久先生(真ん中手前)と竹内建司(真ん中奥)さん
患者情報の記録・確認を現地研修医と行う貞廣光佐子さん(左端)
眼軸長測定を行う吉川静香さん(左から2番目)と、横江美貴さん(左端)
手術室の廊下
スコットランドの慈善団体Archie-Wood Foundationが廊下の壁をきれいにペイントしてくれたと言う。同慈善団体は他にも、小児科オペ室に麻酔器やベッドも設置してくれたそうです。
種々の器械の点検、セッティングが終了し、手術を開始することができました。
小嶋先生と浅見でこの日は11名の白内障手術を行いました。
当初の予定では14名の手術を行う予定でしたが、眼内レンズの度数決定のために必要な眼軸長測定用超音波装置のコードが検査途中に断線してしまいました。
何とか修理して続けようとしましたが、それもかなわず、結局3名は翌日に持ち越しになってしまいました。
普段の器械のメンテナンスも十分に行われていない現状では、何が起こったとしてもおかしくなく、このような突然のトラブルはこれまでの活動の中でもよく起こっていたようです。
このようなトラブルに遭遇しても動じない姿勢は、さすが十数年もこのような環境下で活動を続けてきただけのことはあると感心しました。
この件に関しては、ムヒンビリ大学病院Academic Medical Center(本施設については、本連載Part 3を参照)にあった超音波検査機器を持ってきてもらうことになりました。
眼科ドクターの母上の手術を小嶋先生が行いました。手術前は心なしか不安そうな表情でした。
手術が終わった時には、「痛くなかった!」と言って、小嶋先生に握手を求めてきました。
余談ですが、タンザニアの都市部では、今回のように白内障手術を受ける患者さんもいますが、少し田舎に行くと、今でも呪術師が祈祷を行っているそうです。
そのような田舎では、現代医療というものは住人が見たことがないためまったく受け入れられず、ましてや白内障の手術などというのは敬遠されるようです。
手術はそれこそ魔術的なものと捉えられているのかもしれません。
ムヒンビリ大学病院のオペ室でびっくりするような出会いもありました。
日本の医学生がムヒンビリ大学病院のオペ室に来ているとの情報を得て、眼科のオペ室の見学にも来てもらいました。
学生は三重大学医学部小児科で研修中の医学部6年生でした。
三重大学小児科では、6年生の学生を1か月間、ムヒンビリ大学の小児科に派遣して、世界の医療の現場を見学させているようです。
三重大学は私の母校でもありますので、すごく親近感が湧きました。
本ボランティア活動の紹介や白内障手術の説明などをさせていただきました。
私が医学生だった頃にはこのような海外の経験ができるようなプログラムはありませんでした。
今の学生は学生時分からこのような機会が与えられて羨ましくもありました。
三重大学医学部学生に山﨑先生(一番左)と一緒に手術の説明を行っているところ
眼科の手術の見学をする医学部の学生
また余談ですが、ダルエスサラームの郊外に少し行くと、道路端ではいろいろな物が売られています。パイナップルやバナナ、ピーナツ、工芸品など。
また、写真にはありませんがマサイ族が焚火で焼いた牛の足まるごと1本のBBQなどです。
ガソリンスタンドに停まると、商魂たくましい人たちが寄ってきます。
活動の後には、メンバーで集まり反省会です。
高いジャンプ力で有名なマサイ族と交流する機会もありました。マサイ族の踊りに飛び入り参加